Q.福祉を自分の問題として捉えるには? |
| 私たちのくらしのなかで、福祉の問題は、かならずしも身近なものとは受け取られていません。ノーマライゼーションの理念とか、高齢社会の問題とか、数多く取り上げられるようになってきました。しかし、多くの人々にとって、依然として、福祉は特別なできごととして受け止められることが多く、日常生活のなかには、なかなかはいりこんでこないのが実情です。 福祉の問題を学校で学ぶ際にも、この点は大きな問題です。せっかく、障害者の生活や高齢者についての問題を学んだのに、それが、学校で身につけた知識としてしか、こどもたちのこころのなかに残らない、という現象が起きやすい状況にあるのです。 福祉の授業で、「障害のある人の手助けができるようになりたいです」という感想が多く出される背景には、真に自分の問題としてとらえきれていない、という実情があるのかもしれません。そこで、福祉の問題をどれだけ学び手の問題としてとらえるか、が福祉教育の成果とつながる問題になります。 そのために、まず、実践者自身の福祉に対する感情を自覚することから始めたらどうでしょうか。「福祉」と取り立てていうより、自分と違う立場の人のことを知って、自分がどのような感想を持つか、そこから始めてみましょう。 福祉課題といっても、抽象的過ぎてわかりにくいものです。そこで、障害のある人、高齢者とのふれあいのなかで、自分のなかに芽ばえる感情を出発点として、その人たちと自分がどのようにつながっていけるか、実際にはどのようにつながっているのか、を考える必要があります。 その際に、よく、福祉教育のなかでは、「障害者の問題を自分の問題として考えましょう」「だれもが障害者となるかもしれません」「高齢者の気持ちになることが大切です」など、相手の立場に立つことを強調することがよくみられます。確かに、だれもがいつかは高齢者になり、そのときのことを考える必要はあるでしょう。また、だれもがいつか障害を有することになるかもしれません。しかし、健康な人、若い人、とくに小学生や中学・高校生にとっては、自分の老いた姿を想像することは容易ではありません。ましてや、障害者の立場に立つことは、きわめてむずかしいといってよいでしょう。そこで、障害者の立場に立つのではなく、障害のある人と自分はどのようにかかわることができるか、ということを考えてみてはどうでしょうか。 もし、駅のホームで車いすに乗っている人がいたら、自分は手を貸すだろうか、いそがしい朝の時間にもこころよく手を貸せるだろうか、できないとしたら、それはなぜだろうか、自分は人とどのようにかかわっていこうとしているのか、自分はどのように生きていこうとしているのか、なにを大切と考えているのか・・・。 そのような問題を自分自身に突きつける作業をすることによって、自分とは違った立場の人のことを考える視点をもつことができるのではないでしょうか。 |