Q.施設訪問などに強制的にいかせてもいいものですか? |
| 教育とは、本来、指導者の意図的な企てが内包されるものです。学習目標を設定し、その成果を期待しながら行う営みであるからです。したがって、まったく意欲のない学習テーマについても学習させるというケースは、とくに学校などで起こり得ることだといえます。 学習者のすでにもっている興味にそうことだけでは、新たな気づきを生む学びの場をつくることができないのが現実でしょう。しかし、学習者が強制と感じるような実践は、学習者の興味・関心・意欲を減退させ、学習効果をあげることができなくなります。では、学習者が強制と感じずに、主体的に取り組めるようにするには、どうしたらいいのでしょうか。 たとえば、施設訪問を計画したのに行きたがらない子どもがいたとします。そんなときには、まず、あなた自身が、なぜ子どもを施設にいかせたいのかについて考えてみてください。施設にいくことは、その子ども自身の意志ですか?それとも、指導者であるあなたの意志ですか。 自分で必然性を感じない場所にいきたがる人間はいません。「いきたくない」という意思表示ができる子どもは、そういった表現ができずに、いきたくない思いをかかえたままかたちだけしたがう子どもより、ずっとありがたい存在です。 学習の場は、あくまで学習者のためにあるものです。学習者の感情や思考の流れに沿って、必然性をもって組み立てられるべきものです。それを無視して、指導者側の一方的な思いでつくられた学習プログラムでは、往々にしてこういうことが起きるでしょう。 「いきたがらない子ども」が悪いのではなく、「必然性もなく無理やりいかせる指導者」が悪いのです。子ども自身が必然性を納得せずに施設訪問を決行してしまうと、「障害のある人を『こわい』といった子どもがいます・・・」にあるような「不幸な出会いをたくさん生んでしまいます。施設訪問は、「人と人との出会い」であることを忘れないでください。 「いきたくない気持ち」をかかえたままで、かたちだけ施設訪問に参加させても、そこから学ぶものは、あまり期待できないでしょう。それどころか、かえって悪い印象を植えつけかねません。 他の入り口から福祉について考える時間をたっぷりとり、子どもの側から「施設訪問したい」という必然性が出てくるのを待ってみたらどうでしょうか。最終的に施設訪問まで行き着かなくても、福祉について学べる素材は、他にもたくさんあるのですから。自分なりの課題を自分自身で探り、つかみとるプロセスを学びの場で保障してあげることがもっとも大切なのです。 |